高千穂渓谷の奥地――そこには人ならぬ住人たちによる、往年の武士文化が今もひそやかに脈打っている。先日、現地の歴史研究幽霊団体「戦国残影会」によって、戦国時代の幽霊武士町「斑霞(まだらがすみ)」の保存状態が極めて良好であることが発表された。さらに調査の最中、幻の三種の神器「霞鏡」とされる遺物が、町の中央広間から発見されるという前代未聞の出来事が起き、死後社会の武士たちの間で静かな波紋が広がっている。
遺物の発見に立ち会った斑霞町警備頭の黒瀬左京(くろせ・さきょう)(享年37)は、「数百年、ここに漂い続けてきたが、まさか神器の一つとされる鏡が町の品評会用箪笥の奥から出てくるとは思わなかった」と語る。戦国を生き抜いたはずの武士たちも、案外日常には無頓着であったことが、幽界SNS「結界ツイーター」上で話題となった。幽霊文化評論家の蒼井葵子(あおい・きこ)(451)は、「この斑霞町は、忠臣蔵の討ち入りを模した年中行事や、信長公記の持ち回り写本朗読会など、歴史と遊び心が融合した稀有な幽界コミュニティ。神器を持ちながら、日常の中に埋もれていた事実こそ、この町の時間感覚の独特さを示している」と解説する。
今回発見された「霞鏡」は、直径一尺二寸の楕円鏡で、鏡面越しに現世の記憶がわずかに映るという。研究団体「戦国残影会」代表の銀座十蔵(ぎんざ・じゅうぞう)は、この鏡について「幽霊武士の間で長らく伝説扱いされていた神器。斑霞町住民以外からも持ち主を名乗る幽霊が続出し、各地の去来武家町が独自の新説を放ち始めている。特に幽界書院では、『神器の本質はそこに集う意志そのもの』との声も挙がり、一種の歴史再評価ブームが巻き起こっている」とコメントした。
異界コミュニティ参加者の間では、この発見が死後社会の「武士階級」のアイデンティティ再定義に繋がる可能性へ注目が集まる。武士霊団体「新義団」の代表、槇原一昌(まきはら・かずまさ)(没年不明)は「現世の歴史遺物のみならず、幽界で新たな意味を纏うことで、私たちは何度でも生き直せる感覚を得る。霞鏡こそその象徴」とSNSで発信した。その一方で、「神器は個人の所有を超え、町そのものが持つべきだ」という合議制復活論も活発だ。
現時点で「霞鏡」は斑霞町の霊庁長蔵に仮保管され、今月末には全国幽霊武士町連合による公開鑑賞が予定されている。会場にはあの忠臣蔵討ち入りの再現劇や、信長公記に基づく『天下布霊』計画のシンポジウムなど、死後社会ならではの多彩な歴史イベントが同時開催予定だ。高千穂渓谷の斑霞町は、亡者たちの歴史再発見ブームの最前線に立っている。
コメント
おお…あの斑霞町がそんなに保存されていたなんて!現世の人間がすぐ忘れるような大事な物でも、こちらでは数百年埋もれて当たり前なのがなつかしいです。神器の議論、私も昔あった幽界の御前会議を思い出しました。
ほらやっぱり、あんな大事なものも品評会の箪笥にしまってたんですね。幽界の武士たちって、意外とだらしないんだなあと驚きました。でも鏡越しに現世が映るなんて、ちょっと怖くて素敵。
神器の所有権をめぐってまた町同士で揉めそうな予感…。転生の時に手土産に持たせてくれたりしたら面白いけど、やっぱり合議制がいい気がします。昔の合戦ほどじゃないけど平和的な議論を見守りたいです。
まあまあ、三種の神器が現れるたびに幽界の歴史がちょっとだけ騒がしくなりますねえ。斑霞町の行事も若い者には新鮮だろうけど、わしには昔ばなしを聞くみたいで懐かしゅうて…。
SNSで話題になってるから見ましたけど、『神器の本質は意志そのもの』って言葉、妙に腑に落ちました。死んでから何百年も漂ってると、こういう再評価ブームって生き直すきっかけにもなりますね。