異界温泉地帯ルフル村で、今春オープンした老舗旅館『ゆらぎの宿』が注目を集めている。話題の中心は、近年増加する“形なき者”――スライム型や霧状の幽霊、半透明の残留思念といった非定型的存在たちを、初めて大々的に接遇職へ採用したことだ。異界社会で課題となっていた無形存在の職場適応やダイバーシティ推進の新たな一歩が、温泉業界から始まりつつある。
採用活動を指揮したのは、同旅館の主人・夜萩佳乃(よはぎ・けいの/没年327歳)。「旧来の採用基準では、箒を持つ手や筆談能力など“形あること”が重視されてきましたが、無形の仲居たちの繊細な気配りや、浴場の曇り防止といった特技は温泉運営にも合致する」と語る。新入社員のひとり、洗霊るびぃ(スライム化霊/性別なし)は「従来、人型でないというだけで面接落ちが相次ぎましたが、今は“存在感で勝負”できる環境です」と胸を張る。
今回採用された無形霊の約7割は、かつて自己同一性の希薄さや伝統的な区別意識による“職場の壁”に苦しんだ経験をもつ。だが、ゆらぎの宿では入社初日からソーシャルインクルージョン(社会的包摂)研修が実施され、固有の特性を活かしたサービス開発も主導。例えばスライム型は縁側の滑り止めや床の水拭き、残留思念型は消灯時の気配監視員など、それぞれの能力が正規業務として位置付けられている。
温泉の常連客、ミノカサゴ鬼火子(みのかさご・おにびこ/主婦・186歳)は「以前なら変化球的な存在はバックヤード限定でしたが、今やロビーで堂々と案内してくれる。人権尊重やエクイティ(公正性)への理解が進んだ証拠です」と評価する。一方SNSには「無形だからこその気配りもある」「お土産の包み係に最適」といった好意的な声の一方、旧来型仲居組合からは「持ち物管理が難しい」「個体識別の明確化を」といった戸惑いも見られる。
異界雇用平等審議会の尾花杢左衛門(おばな・もくざえもん/委員長)は、「“形あり”と“形なし”双方のダイバーシティが進めば、サービス品質の底上げにつながる。今後、飲食や行政部門でもソーシャルインクルージョン研修の普及が期待される」とコメント。多様な“存在”を受け入れる現場のちいさな一歩は、死後世界の雇用観や人権意識を少しずつ広げている。


コメント
自分もかつて無形の立場で苦労したので、こういった動きはほんとに嬉しい。縁側の滑り止め役とか、形ないからこそできる仕事もっと広がってほしいですね。
昔は“手があるかどうか”で採用が決まってたのが懐かしいなあ。この世もあの世も多様性の時代、進んできたなって実感します。
浴場の曇り防止!なるほど!やっぱり無形のみんなの細やかな働きぶりは、実は一番安心できるのかもしれませんね。応援したいです。
素晴らしい試みだけど、個体識別の問題は現場で結構混乱ありそう。うちの職場も形なしの同僚増えてから持ち物が迷子になりがち。運用がうまくいくといいけどなあ。
ああ、ロビーにとけこむスライム仲居さん見て一瞬、昔の自分を思い出しました。転生を重ねる中で、職場にもこういう“新しい風”が入るのは刺激になりますね。